名解説者・北の富士さんを説明します。

大相撲コラム

解説者としての北の富士さん

NHK相撲解説で、お馴染みの北の富士さん、

遠慮ない辛口な解説は、力士にも説得力があり、勉強になっていると思います。

私は1943年1月生まれです。

北の富士さんは1942年3月生まれです。

私の1年先輩、同年輩ですので、親しみ易く感じます。

又、テレビでの辛口解説は、わかりやすく、

取組の勝負をより楽しく、見させてくれます。

後期高齢者とは思えない、遊び人風な粋な風貌は、高齢者の憧れとなっていると思います。

 

力士としての北の富士

北の富士は力士としても、偉大な力士でした。

優勝回数、10回の大横綱だったのです。

相撲界に入門の切っ掛けは、横綱千代の山に、勧められたのが原因だったようです。

現役の横綱に、直に勧められ、1964年1月に入門しました。

1966年7月大関に昇進しました。

直前3場所の成績は8勝、10勝、10勝、28勝と、どちらかというと、良い成績とはいえそうもない成績だったと思います。

私の記憶では、大関が豊山の一人大関だったような気がします。

北の富士に取って幸運でした。

北の富士は出羽海部屋に所属してきましたが、九重部屋が独立、北の富士は九重部屋に所属することになりました。

1967年3月初優勝、5月場所綱取りに初挑戦、5勝10敗と、期待外れ終わりました。

しばらく目立った成績が無かったが、

1969年稽古に打ち込んだ、成果が出たのか、9月場所、12勝3敗の好成績、翌11場所

綱取りの場所、13勝2敗と横綱確実と言われていましたが、横綱審議会が反対して、見送りとなりました。

北の富士は悔しかったと思います。

翌1070年1月場所13勝2敗の好成績で、文句無しの横綱昇進を果たしました。

遊び人と言われても、やる時はやる、北の富士の、辛口解説は、自身の実績から出ているものだと、改めて思いました。

遊び人で、粋な高齢紳士、見習いたい先輩と思います。

男は幾つになっても、モテたい気持ちがあるものです。

北の富士さんを見習って、少しでも、近づきたいと思います。

大相撲解説をまだしばらく続けてください。

親方としての北の富士

1974年7月、北の富士は引退後、井筒部屋を継ぎ、12代九重を襲名しました。

北の富士は親方としても、優れた実績を挙げています。

九重部屋に、二横綱、千代の富士、北勝力を育て上げました。

1987年3月場所から10場所連続優勝を九重部屋が達成、特に、千代の富士は優勝31回、52連勝を達成、双葉山の69連勝に迫る記録を残しました。

NHK解説者としての北の富士に期待

千代の富士は、やんちゃな力士のようだったと思います。

北の富士は、潔い性格親方だったようで、千代の富士を、うまく育てたようです。

北の富士の潔良さは、千代の富士の引退の時に現れています。

北の冨士は千代の富士引退時、九重部屋を、あっさり譲っています。

北の富士の潔良さが、現れた一面だと思います。

千代の富士は強い大横綱でしたが、やんちゃで、誤解を受けやすい力士でした、北の富士と通じる面があったようで、北の富士は、可愛がっていたようです。

北の富士も、協会が横綱昇進を推挙した時、横綱審議会の反対で見送られたように、北の富士自体、誤解を受けやすかったのだと思います。

北の冨士さん、あっさり親方を譲って、相撲界から離れて、自由な立場から、NHKというマスコミ界の代表TVの相撲解説者、辛口解説楽しみにしています。

 

 

 

 

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